酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)「人間至宝の生き方」への箴言集

本心を育む人生を出発しましょう

実は本心を育むのに一番有効な手段は『本を読むこと』です。
なぜなら、本を読むことは人との深い出会いになるからです

人望がある人に共通しているのは、常に本を読んでいることと言われています
私は50年に人生でそれを実感しました

FUJU
FUJU

今日は引用は

酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)

 安岡正篤 著 になります

今日の本の引用はこちら!

淡宕(たんとう)という言葉があるが、「宕」というのは、岩石が山の崖下だとか、あるいは森の中に、堂々たる大石としてでんと構えているさま、これが宕であります。スケールの大きな、確乎(かっこ)として奪うべからざる力を持っている。
淡とは、一言でいうなら、甘いとも苦いとも渋いとも、なんともいえない妙味、これを淡という。
西郷南州の晩年はたしかに、「淡宕」という境地です。あの人がたまたま官を去って、帰村したときに、村にはいろいろな問題があって、村長が泣き言を言いにやってきた。そしたら、西郷さんが座りなおして
「そいじゃ、おいどんがやろうか」
と言った。村長はびっくりした。まさか明治新政府の参議・総督が田舎の村長になるわけない。冗談だと思った。ところが冗談じゃない。西郷さんは本気で言うておる。つまり西郷さんから言わせれば、自分の生まれた村の村長も、偉勲赫々(いくんかっかく)たる参議・陸軍大将も同じことなのであります。
スケールというか、こういう境地というのが、「淡宕」です。なかなかここまで行く人はいない。人間もここまで行けば偉い。英雄・哲人の終わりには、時折こういう境涯がある。
誰にでもわかるのは大西郷の最後の風格、晩年の風格であります。

『酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)』安岡正篤・MOKU出版

今日のポイント

いまある環境を誰のせいにするのでもなく、受け入れて、自分が責任をもとうとする生き方は 「淡宕」という境地。人が成長していく姿なのかもしれません。
そいじゃ おいどんがやろうか…
かっこいいですね

  

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