たとえば、時速10キロで流れている川にボートを浮かべているとき、人は「漕(こ)がなくてはいけない」と思ってしまいがちです。
ボートを浮かべて「そのまま流れ下っていいんだ」と教えられてはこなかった。
時速10キロの川の流れに対して、上流に向かって時速10キロで漕いでいる人は、外から見ていると、少しも動いていません。「あの人、いったいいつまで同じところにいるのかな」という状態。
大汗かいて、「こんなに私は、努力してがんばっているのに、なぜ、人生変わらないの」と本人は嘆く。
しかしそれは、上流に向かって漕いでいるのかもしれません。
流れに逆らっている。じゃあ、今度は、下流に向かって漕いでいる人はどうか?
左右の岸にすごく面白い人たちがいるにもかかわらず、動きが速すぎて、その人たちに手を振っている余裕がない。
笑顔を交わすことすらできない。結果として、ものすごい速さで流れ下っていくのですが、その先は、ナイアガラの滝のようになっている。
わざわざ急いで行かなくても…。
ナイアガラの滝というのは、つまり死というものです。
人間の肉体の死です。
自分は、一生懸命やっているつもりでも、もしかしたら、死に急いでいるということかもしれません。では、味わい深い人生を送るためには、どうすればいいか。
川の流れに舟を浮かべているだけ。漕がない人生はどうかといえば、左右の景色を楽しみ、風を感じながらゆったりと流れていく。
それが、とても豊かな選択のように思えます。
この流れをあれこれ変えようとせずに、「おまかせ」してみてはどうでしょうか。
身をゆだねるとは、そういうことです。そして、ゆだねはじめた人からは、ほんわか温かい空気が漂ってきます。
おまかせした人は、生き方もしなやかですから、まわりの人はその人に対して「あれやって」「これやって」といろんなことを頼みたくなるようです。
とても頼まれやすい人になる。そのときに「自分は今まで何も考えないで、のほほんと生きてきたけど、頼まれごとを引き受けることが、生まれてきたことの意味かな。喜ばれることかもしれないな」と思いながら、あちらに動かされ、こちらで楽しい人々と出会い、というのをやっていくことになります。
さらに、流れを素直に受け入れれば受け入れるほど、宇宙はどんどん示唆をくれるようになります。
すると「どうも自分はある方向に向かって、同じようなことを頼まれているようだ」と感じはじめます。不思議なことに、自分で努力目標を立ててがんばっていたころよりも、風に吹かれ、川に流されて生きるほうが労働量が多かったりするのですが、好き嫌いを分けない心になっていると、悩んだり苦しんだり迷ったりすることが少なくなる。
精神的なストレスがなくなって、元気でいられます。
私も20年くらいかけて、一切抵抗しないで、宇宙が「こうしましょう」と示唆している流れに舟を浮かべて下っていく、という生き方になってきました。“風”に従い、“流れ”に従う。
『「そ・わ・か」の法則』小林正観 サンマーク出版
こういう人を、「風流な人」と呼びます。
「風流な人」でいることは、人生の喜びを優しく感じることができる生き方のようです。
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所長視点
私のことをすべて知っていている神様は、私にふさわしい環境を与えてくれます。
それが納得いかなかったとしても、「ああ そうだったんだ」と点と点が見事に結ばれていきます。訳がわからない出来事は、そのときまでのお楽しみですね
あとは、まかせて、ゆだねて、今に生きる、一生懸命を楽しむ。そんな人生を送りたいものです
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