今日のお題は
石川 洋さんです
この人は何をしていた方ですか?
十七歳のとき無所有の奉仕生活を実践したり、托鉢者として生涯過ごされたりしたりと、なにかとすごい方です
今日のお題
新潟の岩船郡に木村霊山という、100歳になる尼さんがいらっしゃいまして、その尼さんに会いたくて、2,3回お訪ねをしたことがございました。
日本のマザー・テレサと言われた方で、100名以上の孤児をお育てになった方です。
新潟の山奥は、昔は貧しいところで、やはり子どもの育てられない親があります。
そういう人が、木村霊山の名前を聞いて、お世話をしていただけますか、預かってくれますかって、連れてくるんです。
新潟では尼さんを「あんちゃま」と言います。
「ああ、あんちゃま、100名以上の孤児を育てて大変だったでしょう」
って言ったら、
「なんでもないと思ったら、なんでもないさ」
と、答えてくださいました。
なんでもないと思ったら、なんでもない。
この人は自分がついた師匠がほどなく亡くなってしまいまして、お師匠さんと早く別れた方です。
一所懸命にお世話をなさり、そのお師匠さんが亡くなるときに「ありがとう」と言って「よう世話をしてくれたな。短いあなたとのつながりだけども。きっとこのご縁は返すよ。これから、あんたのそばに必ず生まれ変わってくる」と言ってくださったそうです。
だから彼女は、100名の孤児は、お師匠さんの生まれ変わりだと思っている。
そして、一番弟子の尼さんに、お師匠さんの出家名である「霊秀」の名を付けて、「霊秀、霊秀」と言って、若いお弟子さんを、自分のお師匠さんの生まれ変わりとして仕えてらっしゃるんです。
今、私は、もういつ死んでもおかしくない年ではございますけれども、自分にできることは、若い人を先生にするということであります。
自分よりも先に行く人を残そう。
木村霊山が自分の弟子に、自分の先生の名前を付けて、自分の弟子を育て、仕えたように。
『やるなら決めよ 決めたら迷うな』勉誠出版
所長視点
本来は師匠であろうと弟子であろうと孤児であろうと、一人一人がもっている人間本来の価値は変わりません。
実際に、若い弟子に仕える。孤児を自分の師匠の生まれかわりとして一所懸命に世話をすることはなかなかできることではありません
価値あるものを価値あるものとして接すること。
価値あるものとして接していくと、好きでない人、好きでないものであっても自分の中から愛情が溢れてきます。
そこから「なんでもないと思ったら、なんでもないさ」という言葉が出てくるのかもしれません
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