時事を語る① 尖閣諸島の問題について

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わたしたちの日本国は、アメリカをはじめ世界がふつうにどんどん先へ行っているのに、自分でかつての敗戦で生まれた思い込みの泥のなか、あるいは、ぬるいお湯のなかに居続けている。それはこの武漢熱からの回生の年、二〇二一年で実に七六年も前の敗戦だ。そのあいだに世界史は少なくとも七回転している。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、ベルリンの壁崩壊・東西ドイツの統一・ソ連崩壊のセット、湾岸戦争・米国同時多発テロ・イラク戦争のセット、アメリカの一極支配とその崩壊、EUの成立と分解、中国の台頭と米中対立。
日本が確固たる思い込みを脱して、隠れた資源国であることを知るなら、経済も外交も根本から変わる。
それをリアルに示しているのが、竹島とその海、尖閣諸島とその海なのだ。
国連は、今からおよそ四〇年も前に「あなたの国の沖縄県の海に、誰も知らなかった油田と天然ガス田があります」という報告書を日本と世界に向けて発出し、中国をはじめ外国は鋭く反応したのに、沖縄県も本土も、肝心の日本国は何も反応しなかったのだ。
日本人はおそらく世界でいちばん国連が好きだろう。信じているだろう。その国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)が「実は日本は資源のある国です。しかも、日本でもっとも失業率の高い沖縄県にあるんです」と告げているのに、そこだけ聞かないふりというのか、知らないふりというのか、こんなことがあるだろうかという反応だったのである。
その当時は、わたしもまだ一六歳ぐらいだ。学校でも、ニュースでも、大人の雑談でも、ただの一度もそんな話は聞いたことがなかった。聞いていれば間違いなく、学校の先生に「じゃ、日本は資源小国ではないんですね」と質問しただろう。
ところが現在でも、国会ではどんなにフレッシュな若手議員でも「日本は資源のない国でありますから」と質問を切り出し、テレビでは評論家が当然のごとく「日本は資源のない国ですからね」と、ただでさえつまらない話を、この常套句で始める。議員も評論家も現場に行かないから、こうなる。だから今、わたしは不肖ながら国会議員となっている。わたしはどれほど非力であっても「現場の人」である。
独立総合研究所(独研)の社長・兼・首席研究員だった当時のわたしと独研の研究員たちは、海上自衛隊の哨戒機P3Cで、尖閣諸島の上を低空で飛んだとき、中国がこしらえた海上の巨大やぐらの突端から鮮やかなオレンジ色のフレアが噴き出ているのを、二〇〇七年にすでに目撃した。
もはや海底の天然ガスを実用化している、動かぬ証拠である。
さらにパイプラインの敷設のための船を見つけ、そしてパイプラインのメンテナンスのための船も見つけた。パイプラインから中国沿岸部に、日本国沖縄県の資源を送り込んでいるのである。
北京で議論した中国海軍の大佐は、わたしに英語いや米語で「日本はずるい」と言った。「青山さんは、武士道の国だと言うけれど、これが武士道ですか。われわれは30年から40年も苦労を重ね、実は人的な犠牲も出し、お金もかけてようやく実用化した。そしたら急に、日本はそれは自分のものだと言い始めた」
わたしは「そのお金のなかには、日本の援助、すなわちわたしたちの財布から出ていったお金が沢山ある。それに、そもそも日本国沖縄県の資源であることを抜きにして、話してはいけないし、資源が実用化できると分かったら急に日本が主張し始めたというのは、勘ぐりであり、誤解です」とは言った。しかし同時に、これが中国側の本音であることは日本国民にフェアに伝えねばならないと考えた。
尖閣も竹島も、国際社会ではとっくに「日本は自分の資源をどうしたいのか。無いことにしておきたいのか、ちゃんと活用するのか、どっちなんだ」という問題に変わっているのである。
もはや尖閣と竹島は別問題ではない。
わたしたちのアジア外交は、ここに立脚せねばならない。ここから再出発せねばならない

~ いま救国 超経済外交の戦闘力  青山繁晴さんより ~

所長視点

外交の現場というものをあまりにも知らない自分だったなと感じました。現れてくる情報で一喜一憂したり、正論をもって批判したりしたとしても何も変わらない。

人間関係も同じですが、腹を決めて接するなかで、深いところでつながるところがある。そこから自体が動き始めるのだと感じます

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