今日のお題は
諸富祥彦さんです
初めて聞く人だわ
心理学者でスクールカウンセリングの第一人者ですよ
今日のお題
キュープラー・ロスは、多くの死にゆく患者の看取りや、ほかの多くの経験から学んできたことを、晩年に『ライフ・レッスン』という著作にまとめました。最も印象深かったのが、次の箇所です。
死にゆく人たちが
「もうー度だけ星空が見たい」「もう一度、しみじみ海をながめたい」
ときくとき、わたしたちはいつもハッとさせられる。海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ、海を味わいつくす人はほとんどいない。ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめようともしない。
わたしたちはほんとうに人生にふれ、味わい堪能しているだろうか?
非凡なものを、とりわけ平凡のなかにある非凡なものを感知しているだろうか?
じつにハッとさせられる言葉です。末期がんの全人的な治療に取り組むホリスティック医療の大家、帯津良一先生とお話ししたとき、多くの人の死を看取ってきた先生にたずねてみたことがあります。
「死ぬときにやすらかに死ねる人と、後悔しながら死んでいく人は、どこが違うんでしょうか?」すると、帯津先生は、こうおっしゃいました。
「自分の人生で、”し残したこと”がないかどうかです。
やはり、やるべきこと、やりたいと思うことをやりきったと思える人は、とてもいい顔をしてやすらかに死を迎えるように思えます」
キューブラー・ロスと帯津先生「死の看取り」の達人が口をそろえて言うのは、死の瞬間に「あぁ、あれをしておけばよかった」
という後悔の念を残さないように生きることの大切さです。
「あぁ、私には、し残したことなんて、もう、何もない」
みずからの死を迎えるその瞬間に、そう思うことができるように、日々の一瞬一瞬を心を込めて生きることの大切さです。
『あなたのその苦しみには意味がある』 ~諸富祥彦~
愛おしい人といっしょにいる何げない日常の時間を、心を込めて味わうように、その一瞬一瞬
をすごすこと。いつ突然、死が訪れるかもしれない、私たち、無力な人間にできるのは、ただ一つ、「日々の一瞬一瞬を心を込めて生きること」――ただそれだけなのかもしれません。
所長視点
生きることと死ぬことは表裏一体で、生きることは死に向かっているともいえます。
そう考えると、死ぬことと真剣に向き合うことが生きることの本当の意味に向き合うことにもつながるのです
人生において『やりたいこと』は見つけることではなく、すでに与えれれている『使命』に気づくこと。その『使命』に気づくためのヒントがいまの現実であるのです。
いまの現実が苦しいときもあるし、虚しいときもある。意味を見いだせないこともあります。それでも現実を受け入れていくことで自分の『使命』に気づくことができます。
その人が『やるべきことをやれる人』になれるようです
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