今日は
『善く生きる』
からの引用です
渡辺久義 著
本のポイントはここ!
日本人でも神様を否定する人はそれほど多くはない。
なんとなく「見守ってくれている」「自分の心にいてくれる」
というぼんやりとした感覚でとらえているようです。
そこに「あなたの存在の根拠は神様です(神様がいたから私がいる)」と言われると
「そこまで強くは信じていないし、縛られたくない」思いが湧く。
この神様に対する曖昧さが日本人の良さでもあり、足りないところのような気がします
今日の本の引用はこちら!
親や教師が子供に対して
「あなたがが悪いことをしても、よいことをしても神様はちゃんと見ていらっしゃるのだよ」
と言って教えるのが、最も自然な普遍的な教育方法だと思うのだが、
わが国ではそれは言えないことになっている。「神」という言葉は差別用語と同じく、口にしてはいけない言葉のようである。
日本人が海外へ出て、各自が帰依する宗教の話になったとき、
平然として「自分は無宗教だ」と言うものだから気味悪がられるという。
外国人がそう尋ねるのはおそらく、あなたは自分の根拠をどこに置くか、
エホバに置くか、アラーに置くか、ブッタに置くか、という意味である。ところが日本人にとってはたいてい、宗教とは葬式の様式か、
せいぜい「心のやさしさ」のことで、
なくてはなくても困らない”オプションのアクセサリー”であり
自分は宗教などというものに関わるほどひまでも迷信家でもない、
という意味でそう答えるのだろう。
ところが
「ではあなた方はどうやって子供を教育するのか」
と聞かれた時に困ってしまうのである神様を受け入れるというのは、宗教に入る入らないの問題というより、
どこに中心を定めて生きていくのか、という「生き方」の問題と感じます
~渡辺久義氏より~
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