今日は引用は
粋な生き方
帯津良一 著 になります
今日の本の引用はこちら!
「粋」とは、哲学者の九鬼周造さんの《「いき」の構造/岩波文庫》という本によりますと、粋というのは、外国にはない日本独特の感覚で、あかぬけしていて、はりがあって、色っぽい様だそうです。
私流に解釈すれば、「あかぬけする」というのは何事も正面から受け入れる覚悟のようなもの「はりがある」というのは、生命の躍動、生命エネルギーがあふれている様です。「色っぽさ」というのは、人を敬い思いやれる気持ちではないでしょうか。
今、「粋」と言える人が少なくなったように感じます。多くの人が、自分のことで精いっぱいです。何か問題を抱えている場合は、その問題をどうやったら解決できるかで頭はパンパンに膨らみ、人のことなど構っていられません。
これでは、人と人とのかかわりもますます薄くなり、世の中が世知辛くてぎすぎすしてきて、何とも面白くなくなってしまうのも仕方ないかと思います。粋に生きるというのは自分自身の生命エネルギーを高めることです。
粋な人は、いつも生き生きしています。病気であっても健康であっても、お金がなくてもあっても、豊かなこころで日々を送っています。そして、そういう人が増えれば、社会の活力が高まっていき、お祭りのときのように、活気があって面白おかしく笑って過ごせる世の中になっていきます。世の中が活気づけば、その影響を受けて、個人のパワーもさらに高まります。そういう好循環ができるのです。
(粋な生き方 病気も不安も逃げていく「こだわらない」日々の心得/帯津良一・幻冬舎ルネッサンス)
今日のポイント
粋な人にこだわっていた江戸時代の江戸では、「棒手振(ぼてふり)」という天秤棒の左右に籠や荷物をつけて町中を売り歩く商いがあったそうです。
売り物は、豆腐、魚貝、野菜、みそ、醤油、漬物等の食品や薬。ようかん、お汁粉、などのデザート。他には金魚や、鈴虫、盆栽、風鈴、ほうき、桶、等々。
当時は、5900人の棒手振がいて、50業種があったそうです。まるでAmazonや楽天?一歩も家から外に出ることなく、一切の買い物ができたそうだ。娯楽も、出版や芝居や落語などの産業が栄え、祭りもエンターテイメントとして人気だった。
「粋」な生き方、センスのある生き方をしたい、そんな人としての美意識が、文化を花開かせたのかもしれません。 合理的なことがもてはやされる中で、意外と重要な生き方なのかもしれません
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