福の神になった少年―仙台四郎の物語

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本心を育む人生を出発しましょう

実は本心を育むのに一番有効な手段は『本を読むこと』です。
なぜなら、本を読むことは人との深い出会いになるからです

人望がある人に共通しているのは、常に本を読んでいることと言われています
私は50年に人生でそれを実感しました

FUJU
FUJU

今日は引用は

福の神になった少年』

丘 修三 著 になります

今日の本の引用はこちら!

仙台四郎という少年は、福の神と呼ばれた。
「しろばか(四郎馬鹿)」と言われたりもしたが、子供が好きで、いつもニコニコとしていた。四郎は、ぼうず頭で、体は人並み以上に大きかったが、どういうわけか、生まれつき知恵がおくれていて、大きくなっても幼児のようにしか話せないし、文字なども読めなかった。
四郎は、毎日、自分の家から歩いて30分くらいの町なかへ、キク丸と名づけた小さな捨て犬と一緒に出かけた。
そして、商店の店先にある水桶の水をまいたり、ほうきで掃いたりする。店によっては、小遣いをくれたり、ご飯をご馳走してくれるところもあった。手伝いをしようとしても、追っぱられることもあった。四郎は自分を歓迎してくれる店と、そうでない店を、直感的に見分けることができ、気の進まない店には、よりつかなかった。
母親は早くして亡くなったが、「にんじんにはにんじんのよさ。大根には大根のよさ。ごぼんにはごぼんのよさがありすでのう」と優しく言って、四郎があちこちで悪さをしたり、ばかなまねをしても、一度もたたいたりなじったりはしなかった。不思議なことに、四郎がよく立ち寄る店は繁盛し、そうでない店は商売がうまくいかなかった。
やがてそれが、人々のうわさになり、「しろばかは福の神だ」と言われるようになった。
すると、四郎がキク丸をつれて町を歩くと、今まで、追い払っていた店からも、手のひらを返したように、声がかかりはじめた。わざと目に付くように店の前にほうきをたてかけておいたり、おけに水をくんでおいたりする店さえ出始めた。

『福の神になった少年』丘修三・校正出版社より抜粋引用

今日のポイント

どんな人でも存在しているだけで、永遠の価値があります。その価値は、心の内面を磨くことでその価値を実感することができます。
わからないのは自分だけ?
心を磨き、仙台四郎に選ばれるような、人になりたいものです

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