今日のお題は
精神科医、斎藤茂太さんです
あー この方知っているかもです
豊かな人生経験に裏打ちされた言葉で
日本人に生きる希望を与え続けた…と言われていますよ
今日のお題
いわゆる「遅刻常習犯」といわれる人は、「時間にルーズな人」と思われがちだが、「待ち合わせの場所まで、電車で三十分、駅まで歩いて十分、着替えなどの支度に二十分 だから、一時間前に出かける準備をすればいい」 などときちんと計算している人も多い。
それなのに、なぜか十分遅刻してしまう。
そして、「電車が遅れてしまって」「出かける 直前になって電話がかかってきて」…と、いつもの言い訳が始まる。
待たされた人も、 もう怒るのもバカらしくなるのか、「はい、はい」と、うんざりした顔をしている。
この人の「待ち合わせまで一時間」という計算には、「万が一」のときの余裕がない。
そして、逆説のようだが、そういう「きちんとした」ものの考え方が習慣になっている人ほど、周りの人からは「ルーズな人」と思われるのだから心外であろう。
どんなに周到に準備をしていても、アクシデントはつきものだ。
急な電話や用件が入ることもあるし、電車が遅れることもある。
それを見越して「一時間十分前」に出れば、遅刻する可能性はかなり低くなる。
それができないという人は、「もし何事もなく十分前に着いて、自分が待たされる」ことになったら、「損する」と思い、待っている時間を「無駄な時間」と考えているからではないのか。
それが「きちんとした」ものの考え方をする人の癖で、損や無駄が自分の身に降りかかることがどうにも納得できないのであろう。
誰でも人に待たされるのは好きではないだろう。
その間、「どうしたのだろう。あっ、もしかしたら事故にでも遭って…」 と不安になり、いらいらすることにもなる。
一回でもそんな体験のある人は、待ち合わせの時間より十分早く着くように家を出るようにするのではないのか。
最初から十分は待つ気なのだから、多少待っている時間が長くなっても気にならない。
時間をつぶすための本や目を通すべき資料も用意しておき、待ち合わせの場所もゆっくり と本が読めるような場所をあらかじめ選んでおく…などの対応策も万全で、いろいろな時間のつぶし方もできよう。
少なくとも、相手をいらいらさせないところがいい。
不思議なことに、待ち合わせ場所に十分前に着くようにしていると、いつの間にか相手 のほうも十分前に来てくれるようになるもので、お互いに「気持ちが通じている」という、いい空気が漂い、「生きた時間」になるのである。
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所長視点
遅刻常習者は損得勘定が強い人が多く、自分でも気がつかないうちに「自己中心的な人」になっていることがあります。
10人と待ち合わせして、自分だけ5分遅れたら、5分×10人=50分の時間を奪ってしまったことになるのに「少し遅れてしまった」で済ませているのではないでしょうか
時間=命 と捉えることもできます。相手の時間を大切にすることが、相手に対する愛情表現になるということですね
たかが5分。されど5分。
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