FUJU
今日の本の引用は
どんな時でも人は笑顔になれる
渡辺和子 著になります
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今日の本の引用はこちら!
エドワード・リーンという人の本の中に、「他人の行動とか、事物を通して起こる“ままならないこと”に腹を立てた瞬間、私たちは謙虚さを失っている」すなわち、他人から受ける不当な扱い、誤解、不親切、意地悪等から全く自由になりたい、なれるはずだと思うことは、すでに人間としての「分際」を忘れた所業であると書かれていたように思います。
~ 元ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子さんより ~
不完全な人間の寄り集まりである社会に生き、自分自身不完全であるからには、すべてが完璧に運び、思い通りになると考えるのは大まちがいであり、それは自分を神の位置に置くものでしかない。
「神のなされることは、皆、その時にかなって美しい」
人の思うところは、必ずしも神の思うところと同じではありません。科学や技術がめざましく進歩し、生死まで司るかに見える人間の偉大さが随所で証明されているこの時代、人間の精神の真の偉大さは、おのれの限界を知ることにあるのではないでしょうか。不完全な人間の寄り集まる社会で、神さまでもない自分が、すべてを思い通りに生きられるはずがない。ままならない人生だからこそ、人間としての分際を知り、他の人に寛容になれるのだと思います
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本のポイントはここ!
人生は思い通りにならないことの連続です。曽野綾子さんは「不条理だからこそ世の中である」といいました。つまり、ままならないからこそ人生である。ままならない状況のなかに隠れる神様の愛を感じれたとき、人は幸せになるのかもしれません
渡辺和子さんのブログ記事はこちら
笑顔というエコ
詩人ゲーテは「人間の最大の罪は不機嫌である」といいました
マザー・テレサは「笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの」といいました。
不機嫌は伝染し、笑顔をつくると心の嬉しくなります。
不機嫌さを感じたときに笑顔をつくる努力が、家庭力のアップにつながること間違いなしです
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【LEDAのひまわり日記】
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