世のお父さん、お母さん。
『本気で生きよう! なにかが変わる (だいわ文庫)』大和書房 丸山浩路
初めて我が子が宿ったと知ったときの感動、覚えていますか。
日に日に育つ命を実感し、「無事、生まれますように」と心の底から願ったに違いありません。
ひたすら「五体満足であれば十分」と念じましたよね。
そして、生まれた愛しい我が子。
初めて父と母になった夫婦は手を取り合い、涙して喜び合ったはずです。
オムツを替えれば「エライ!よく出したね」と褒めるママ。
初めて歩き出した我が子に「手を貸そうか貸すまいか」とオロオロしつつ、スリルとサスペンスの中、夢中でシャッターを切ったパパ。
子どもの成長の一つ一つが新鮮な驚きと喜びに満ち満ちていたことでしょう。
ところが、月日がたち、かわいい我が子が保育園、幼稚園、そして小学校、中学校へと上がっていくにつれ、ほとんどの親は子どもが成長するのは当たり前と思い込んでしまいます。
たとえば、お母さん。
「ご飯よ」ですませればいいものを、「なにしてるの!グズグズしてると片づけちゃうわよ」と余計なことまで言ってしまう。
「行ってらっしゃい」でいいものを、「早く帰ってくるのよ!いつも遅いんだから」と脅迫しながら送りだす…。
でも冷静に考えてみてください。
子どもが学校に行って、家に帰ってくるのは奇跡なのです。
学校への登下校の途中で交通事故に遭うかもしれない。
なにか不測の事態に巻き込まれることもあるかもしれない。
思いもしないことで命を失う人が多い中、「ただいま!」と元気に家に戻ってくること自体が、まさしく奇跡。
親子も一期一会のご縁なのです。
子どもが五体満足で帰ってきたら、「お帰りなさい。よくぞご無事で」と抱き締めてあげる気持ちをどうぞ持ってください。
大切なのは「生きていてくれてありがとう」という気持ちをいつも忘れずに持ち続けることなのです。
生きて再び会えること。
それは紛れもない奇跡なのですから。
これはむろん、親子関係だけに限ったことではありません。
午前様で会社から帰ってきた夫にも「あなた、無事で帰ってきてくれてよかったわ」と玄関で温かく迎え入れてあげてください
そうすれば夫婦関係だって円満にいきます。
また、待ち合わせに相手が遅れて来たとしても
「なにか事故でもあったんじゃないかと思ったよ」
「ごめんなさい」
「会えたからいいじゃないか」
遅れて来ても会えたのだから、それでいい。
生きて会えた、そのことがどれだけありがたいことか。 なにも私が特別やさしい人間なのではありませんよ。
人のご縁は一期一会。
それを忘れずに生きていきたいからこその言葉なのです。
所長視点
やって当たり前の基準は人それぞれです。
表現の仕方も人それぞれです。特に男女においてはかなり差があります。
人からは暇そうに見えても、本人にとっては重要な時間を過ごしていたり、頑張ってなさそうでも余裕がなかったり…
「やれて当たり前」はあくまで自分の基準です。相手の立場に立てているようで自分なりの評価で相手を判断して、理解しあえない状況を作っているのかもしれませんね
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