自己を丹誠する

「本心を育む」のトリセツ

皆様の本心が刺激をうけ、栄養になりそうなお題を、まさきち所長がチョイスし

まさきち所長視点で解説しています

日々の生活で、真の家庭づくりにお役立てくださればさいわいです


まさきち所長
まさきち所長

今日のお題は

致知出版社、藤尾秀昭さんです

この方の話も深いですよね

まさきち所長
まさきち所長

月刊『致知』は11万人に定期購読されている
日本で唯一の人間学を学ぶ月刊誌と言われているよ

今日のお題

自己丹誠(たんせい)。

自分という人間をまごころを込めて仕上げていく、ということである。

この言葉は禅の高僧、松原泰道師から教わった。

泰道師は「生涯現役、臨終定年」を座右銘とされていたが、その 銘の通り、亡くなられる三日前まで有志の集いで法話をされ、戻られると、「のどがかわいた。ビールが飲みたい」と横になられた。

その三日後に百一歳の天寿を全うされたのである。

その泰道師は晩年よく、「空しく老いないためには自分自身への丹誠が欠かせません」と言われ、「一生、自己丹誠」を目標として 日々を過ごされていた。

自分自身への丹誠は死ぬまで続けなければならない、というのである。

泰道師は晩年、腰痛で一人で起きるのも寝返るのも難しい状態になった。

その頃は夜八時に就寝。

夜中の十二時まではよく眠れるが、 それからが眠れない。

ヘルパーさんが来る五時頃までは、一人で専ら思索をめぐらせる時間に当てていた、という。

そういう生活の中で師は自己を丹誠すべく、三Kを実践していた。

三Kとは、一は感動・感激、二は工夫、三は希望。

毎日を感動・感激をもって生きる。

そのために工夫をする。

すると希望が湧いてくる。

この三Kの実践こそ、まさに自己を丹誠していく要となるものだろう。

最後に、晩年の泰道師が杖言葉にしていた佐藤一斎の言葉。

「たとえ視力や聴力が落ちても、見える限り聞こえる限り、学を廃すべからず」

一道を極めた人は一様に、自己を丹誠した人である。

一斎も八十六年、自己を丹誠し続けたのだろう。

私たちも一生かくありたい。

『小さな修養論 4』致知出版社
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所長視点

環境やいろいろな出来事があったとしても、その環境を通じて自分を鍛錬していく。

しかも『丹誠』は自分自身を真心をこめて成長させ、しあげていくこと。

神様から与えられた『自分』という逸材を、『丹誠』していくことで、智慧が与えられ、希望を見出し、自分みずからに感動する人生

そんな人生が最高の人生なのかもしれません




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