人生生涯小僧のこころ

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本心を育む人生を出発しましょう

実は本心を育むのに一番有効な手段は『本を読むこと』です。
なぜなら、本を読むことは人との深い出会いになるからです

人望がある人に共通しているのは、常に本を読んでいることと言われています
私は50年に人生でそれを実感しました

FUJU
FUJU

今日は引用は

人生生涯小僧のこころ

になります

今日の本の引用はこちら!

千日回峰とは、往復四十八キロ、高低差千三百メートルの山道を十六時間かけて一日で往復し、合計四万八千キロを歩き続ける修行。もし、途中でこの行をやめるときは、左腰に携えている短刀で自分自身の腹をかっ切って自害するという厳しい掟がある。そして、千日回峰が終わると、さらに厳しい行、「四無行(しむぎょう)」が待っている。
「四無行」とは、九日の間、「断食、断水、不眠、不臥(ふが)」
すなわち「食わず、飲まず、寝ず、横にならず」を続ける行。生きて帰る確率は五十%という危険極まりない行だ。
塩沼師は『私は四無行に限らず、苦難に遭うといつも「これが自分の日常なんだ」と考えるようにしております。すると、一種の暗示効果で「あっ、こんなものか」と思えるのです。逆に、何でこんな苦しい目に遭わなくてはいけないのだろうかと思うと、不平不満が次から次へと口をついて出てまいります。
与えられた環境を特別なものだと思わず、それを日常と考えて適応していくようにすることがとても大切なのだと思います。』
『一に勤行(ごんぎょう)、二に掃除、三に追従(ついしょう)、四にあほうと申します。追従(人が喜ぶことを言う)までは誰でもできるのですが、四番目のあほう(自分を捨てる)にはなかなかなりきれません。
自分の悪いところを指摘されると、どうしても感情を顔に出したり、言葉に出したりというのはあほうになりきれていない、つまり我があるということです。』

『人生生涯小僧のこころ』(塩沼亮潤)致知出版

今日のポイント

塩沼師は千日回峰行の九百九十九日目の夜に「人生生涯小僧のこころ」と色紙に書いたそうです。あと一日で千日回峰行を終えようとしている自分と、19歳の頃、雑巾をもち、ほうきを持って駆けまわていた小僧時代の自分は、何も変わっていない。心のうちには同じような熱い気持ちがある、と。
塩沼師ほどの方であっても「我を捨てるのが難しい」とのこと。我があると「これが自分の日常なんだ」と思えない。
極めた方の言葉ですね。すごい!

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