40年で勝利を成しなさい

レダの日常、日本の非日常
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【LEDAのレジェンドたち①】
地球の裏側の不毛の地に開拓にいった伝説の人々。不毛の地でレジェンドたちは何のために、何を思い、何を残したかったのか?
聖地レダの開拓を発信します

FUJU
FUJU

開拓当初の様子のレポートです

いまでもレダの蚊の対策は『蚊難(カナン)』といわれ大変ですが、開拓当初は今とはくらべものにならないぐらいの状況でした

週に1度、アキタバン(パラグアイ川の行き来する定期船)が夜に到着します。その岸辺あたりは蚊がすごいのなんの…大量の蚊が人間をとりまきます

2000年の初めに大型トラクターを購入できたので、まず岸辺の薮を開拓して蚊を少なくすることにしました。
ある程度はトラクターで出来ますが、トラクターを入れるにしても人がやる必要があります。灼熱の猛暑の中、モスキートネットを頭からかぶり、分厚い上着、手袋をつけてトラクターに乗り込みました。

薮に入ると大量の汗とともに軽く100匹を越える蚊に囲まれ、厚い服の上からでも容赦なく刺してきます。二人で交代しながら薮を刈りました。すぐ近くに草を燃やして煙をだしておきます。

しばらく作業すると蚊が群がりすぎてどうしようもなくなります。煙の中に逃げ込んで煙のなかで蚊を追い払う。追い払っているあいだにもう一人が薮を刈り、蚊に集られたら煙のなかに逃げ込む。その繰り返しです。いま思えば懐かしい思い出です。

蚊の立場からみたら人間が侵入者。まさに戦いの最前線。戦いは1ヶ月続きました。

オリンポ40修の閉会式で文先生から「40年で勝利を成しなさい」と⾔われました
「やるしかない」と、決意を胸に気づけば22 年が立ちました。気づけばレダ現地で最年⻑となりましたが、志半ばで亡くなった方の分まで全力で努力します

FUJU
FUJU

まさにレダのレジェンドですね
ありがとうございました


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