エミリー・デッケンソンというアメリカの女性詩人が、「一羽の鳥でも救えることができたら私の生まれてきた意味がある」という詩を書いています。
この人は体が悪くて、ベッドの上で寝たきりで詩を書いていた。
そのわずかな詩がキリスト教の一派を開いている。
「何かしよう」というぼくの詩がありますが、やはり何かをして生きた人は残るんですね。
何かをしよう
みんなの人のためになる
何かをしよう
よく考えたら自分の体に合った
何かがある筈だ
弱い人には弱いなりに
老いた人には老いた人なりに
何かがある筈だ
生かされて生きているご恩返しに
小さいことでもいい
自分にできるものをさがして
何かをしよう
一年草でも
あんなに美しい花をつけて
終わってゆくではないか
どんな人でも何か人のためにできやせんかという、その辺が一番大事ですな。
それがその人を生かすんです。
人のためにしようと思ったら、必ず目に見えない力が出てきて助けてくれる。
それがおかげですね。
お釈迦さんは亡くなる前に、
すべてのものは
うつりゆく
おこたらず
つとめよ
といって亡くなられた。
お釈迦さんは人にできんことをいわれたんじゃない。
やろうと思えば誰でもできることです。
しかし、これが難しい。
怠らず務める。
一事貫行(かんこう)です。
ぼくはこのお釈迦さんの言葉が好きでしてね。
この言葉通りの人生をこれからも歩んで行こうと思っています。
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所長視点
人のために自分が何ができるかを考える
そして自分が出来ることをやり続ける
結果は神様が導くことですから、そのままの結果を受け入れる
そして感謝する
それが自分がここにいる意味を与えてくれるのだと感じます
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