本心を育むNO539 いのちをいただく

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坂本さんの職場では毎日毎日たくさんの牛が殺され、その肉が市場に卸されている。

牛を殺すとき、牛と目が合う。

そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。

ある日の夕方、牛を荷台に乗せた一台のトラックがやってきた。

「明日の牛か…」と坂本さんは思った。

しかし、いつまで経っても荷台から牛が降りてこない。

不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、牛のお腹をさすりながら何か話し掛けている。

その声が聞こえてきた。

「みいちゃん、ごめんねぇ、みいちゃん、ごめんねぇ…」

坂本さんは思った、「見なきゃよかった」

女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。

「みいちゃんはこの孫と一緒に育てました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。明日はよろしくお願いします…」

「もうできん。もうこの仕事はやめよう」と思った坂本さん、明日の仕事を休むことにした。

家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。

しのぶ君はじっと聞いていた。

一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君は父親に言った。

「やっぱりお父さんがしてやってよ。心の無か人がしたら牛が苦しむけん」

しかし坂本さんは休むと決めていた。

翌日、学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。

「お父さん、今日は行かなんよ!(行かないといけないよ)」

坂本さんの心が揺れた。

そしてしぶしぶ仕事場へと車を走らせた。

牛舎に入った。

坂本さんを見ると、他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。

「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんとみんなが困るけん。ごめんよう」

と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。

殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。

坂本さんが「じっとしとけよ、じっとしとけよ」と言うと、みいちゃんは動かなくなった。

次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。

牛の涙を坂本さんは初めて見た。

『いのちをいただく』(西日本新聞社)のあとがきに、共書の内田さんはこう書いている。

「私たちは奪われた命の意味も考えず、毎日肉を食べています。自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の悲しみも苦しみも知らず、肉を食べています。『いただきます』『ごちそうさま』も言わずにご飯を食べることは私たちには許されないことです。感謝しないで食べるなんて許されないことです。食べ残すなんてもってのほかです…」

『いま伝えたい!子どもの心を揺るがす “すごい”人たち』ごま書房新社
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所長視点

私達は多くの動物の生命の代償として、生命を与えられています。

しかし、人類の歴史を見てみると、戦争等で人が人を殺した人数は、ゆうに50億人以上とのこと…

これでは、動物も報われないでしょうし、神様が創造主であれば、かなり心痛めているような気がします

生かされている生命を何のために使うのか? それを「命」の「使い方」として「使命」といいます。

私の使命は、目の前の人、私の周りの人を喜ばすことから始めたいですね




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