『カントは死ぬまで我が街から一歩も出でず。
キリストの布教はわずか5マイル四方。
しかし二人は人類を永遠に照らす深い真実を遺した。』
広さではなく、深さが真実や真理を伝える。
我々は往々にして、広さという、「華やかさ」や「派手さ」や「目立つこと」を求めてしまう。
そして、どんどん薄っぺらになる。
毎年、今の時期になると「深山の桜」の話を思い出す。
深山の桜とは、山奥にある桜の木のこと。
桜の木が小さな頃は、まだだれも気付かない。
それがだんだんと大きくなるにつれ、その桜を見ようと、人がおしかけてくる。
やがて、何もない山奥に、その桜木までの細い道ができる。
そして、何年もたつと、大木となったその桜を見るために、道は広くなり、まわりに店もできる。
自ら一つの宣伝せずとも、自ら動かずとも、魅力があれば多くの人が集まってくる、ということだ。
深さとは、どっしりしていて、落ち着きのある、しみじみと感じる魅力。
魅力があれば、広さは関係ない。
深山の桜のような、魅力ある「深い人」を目指したい。
『いまこそ、感性は力』 行徳哲男
所長視点
井戸を掘っていくと地下水にあたり、地下水はすべての井戸に通じています。
一つのことを深堀りして極めていくと、全てのことに通じていくという意味だそうです。
沢山の経験をしなくても、一つのことを通じて多くのことに通じて行く術があります。
自分の心を深堀りしていくと、全ての人の心に通じていく…そういう人が『愛が深い人』と呼ばれるのかもしれません
コメント