本心を育むNO502 変化すること

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 かつて、ある記者がマザー・テレサにこんなことを尋ねた。
「あなたが数ヵ月前におっしゃったことと、いまおっしゃってることとはまったく違います。自分の立場を変えたことをどう説明するおつもりですか?」
すると、この聖女はやさしい眼差しで記者の顔を見て、ほほえみながらこう言った。
「私は心変わりをしました。いまなら知っていることを、あのときは知らなかったのです」

なんというシンプルな考え方だろう。
いつもずっと信じてきたという理由で、もはや自分に合わなくなった信念や意見を引きずっている人がいかに多いことか。
長年の信念だという理由で、自分を限定するような信念にしがみついた経験は何回くらいあるだろうか。
私たちは、一貫して信念を変えないことが美徳であり、心変わりをすることが欠点であると教えられてきた。

「堅固な意思の持ち主」というと尊敬の対象となり、「心変わりする人」というと意見をころころ変える人として軽蔑されるのを耳にしてきた。
私はこういう考え方に異議を唱える。
たしかに、一貫性は人生のいくつかの領域では身につける価値のある資質だが、過去に真理だったというだけでいまはもう役に立たなくなった信念と意見にしがみつくのはまったくのナンセンスなのだ。

私たちは心変わりをする自由がある。
実際、もし変わらないなら、本当に苦労することになるだろう。
私たちが暮らしているこの世の中は常に変化している。
その世界の中で、私たちだけが変化に抵抗している。
常に変化している環境の中で変化に抵抗することは、まさに狂気の沙汰と言わざるをえない。

では、どうすれば私たちは人生の中で変化を受け入れ、さらに歓迎することができるのだろうか?
ひとつの方法は、自分の人生をふり返って、過去に起こったあらゆる変化の大部分が改善につながったことを確認することだ。
そうすれば、あなたは自分の人生の中で変化が実際に前向きな力になったことを認めるはずだ。
そこで、変化することを自分に許すことができる。

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所長視点

自分のこだわりや執着によって、人生が生きづらくなってしまっていることがあります。

そんな自分に気づいたときに、改められる人と、こだわり続ける人がいます。

傍からみると、そんなにこだわる必要ないようにみえますが、プライドや意地を張ってしまう

もっと自由にいきたいものです

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