本心を育むことば
一燈園に入園した者は誰でも、何日かの托鉢行をする。
無一文、無一物で園を出て、行った先で掃除や草むしりなどの奉仕をさせてもらい、運がよければ食事や宿泊にありつける。その托鉢に対する西田天香さんの言葉がある。
『托鉢者は行き詰まるだけ行き詰まってみるがよい。日の脚は、こちらの行き詰まりを待ち合してはおらぬ。
日暮れ、腹は減る。泊めてくれ手もない。握り飯一つ誰も持って来ない、寂しい気持ちがする。そうした時こそ真剣になる。
まだまだ行き詰まるがよい。そこでどうするか。
手前の考えが何事も用を成さず、我というものがあまりにふがいなくなって、しみじみと考え込む。祈りたくなる。
そうした時に知らず知らず、一段一段と自分の我慢(がまん)がはげていく、それが実に結構な修行なのだ。
どうか他人の得をぬすまぬように。
どうか自分の罪をかくさぬように。
どうかその場のがれの事を言わぬように。
どうかあまりに大事をとりすぎぬように。
あまりに自分はみにくいだらけである。
一段とこの四つのことを慎みたい。』
人生とは、「己の魂を磨き、少しでも光らせる修行」。自分を磨くことだけを考え、人格を向上させるなら、他人の行いは気にならなくなる。
自分を守らんがため、人を非難し、人のせいにすることをやり続けるなら、やがて誰からも相手にされなくなる。
~ 石川 洋さんより ~
所長視点)
すべてを手放して、奉仕しようとするときに、自分の心と正面から向き合うことができるのだと思います。向き合った自分を受け入れたとき「謙虚さ」を身につけていく。謙虚さこそが天運をつかむことのできる心の状態なのだと思います
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