今日のお題は
渡部昇一さんです
あー なんか聞いたことありますー
上智大学名誉教授で英語学者。
保守派の評論家と知られた方ですよ
今日のお題
勝負の帰趨(きすう)はそのときの運に左右される。
運というのはあるのかないのか。
あるようでもあるし、ないようでもあるが、なにがしの気配が働いて運を左右するということはありそうだ。
そのなにがしの気配を働かせて福運を招き寄せるものはなにか。
結局、そういう目に見えないところでの行為、目に見えないところで尽くす誠実、といったものなのではないでしょうか。
よく「運は運なり巡るなり」といって、どう転ぶかわからないものです。
わからないから運なんです。
こうすればこうなる、というのは数学か自然科学で、因果律です。
でも、運というのは因果律じゃないから、方程式は成り立たない。
それは、ある日ある時、天の一角からやってくるものなんです。
ラテン語の諺に
「神は長き間に拒絶せるものを、しばしば短き一瞬にして与えたもう」
という言葉があります。
これは長い間一所懸命やってもうまくいかなかったことが、一瞬にして好転するということです。
15世紀にの修道士トーマス・ケビンスは
『神に拒絶されつづけているときにヘタってしまえば、好転する一瞬は訪れません。不遇であろうが不景気であろうが、くたびれずに毅然としていなければならない』
天は必ず見ていて、私達を導こうとしている。
『渡部昇一 一日一言』致知出版社
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所長視点
「お天道様は見てござる」。
だからこそ、人が見ていようが見ていまいが、そこで誠(まこと)のかぎりを尽くすこと、利他の心で行動することが、運を招くことになります
お天道様は、私達を幸せに導こうしているが、いつ、どのような方法で導こうとしているのは、私達の予想を越えたところで導いているので、人からの評価がどうであろうと、自分の心に誠実にいくのが一番の近道になります。
大リーグの大谷翔平選手が、マスコミから「なぜゴミを拾うのか?」と聞かれたとき、
「ゴミは人が落した運。ゴミを拾うことで運を拾う。それが自分にツキを呼ぶ、と高校の恩師から教えられたから」
と言い、恩師への感謝の心も忘れない。と答えたそうです
いいこといいますねー。
お天道様も喜んでいるに違いない
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