今日のお題は
大峯千日回峰行、その1300年の歴史の中で
2人目となる満行を果たした
塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)さんです
今日のお題
千日回峰とは、往復四十八キロ、高低差千三百メートルの山道を
十六時間かけて一日で往復し、合計四万八千キロを歩き続ける修行。もし、途中でこの行をやめるときは、左腰に携えている短刀で自分自身の
腹をかっ切って自害するという厳しい掟がある。そして、千日回峰が終わると、さらに厳しい行、「四無行(しむぎょう)」が待っている。
「四無行」とは、九日の間、「断食、断水、不眠、不臥(ふが)」
すなわち「食わず、飲まず、寝ず、横にならず」を続ける行。
生きて帰る確率は五十%という危険極まりない行だ。塩沼師は
『私は四無行に限らず、苦難に遭うといつも
「これが自分の日常なんだ」と考えるようにしております。
すると、一種の暗示効果で「あっ、こんなものか」と思えるのです。
逆に、何でこんな苦しい目に遭わなくてはいけないのだろうかと思うと、
不平不満が次から次へと口をついて出てまいります。
与えられた環境を特別なものだと思わず、それを日常と考えて
適応していくようにすることがとても大切なのだと思います。』『一に勤行(ごんぎょう)
『人生生涯小僧のこころ』(塩沼亮潤)致知出版
二に掃除
三に追従(ついしょう)
四にあほう
と申します。
追従(人が喜ぶことを言う)までは誰でもできるのですが、
四番目のあほう(自分を捨てる)にはなかなかなりきれません。
自分の悪いところを指摘されると、どうしても感情を顔に出したり、
言葉に出したりというのはあほうになりきれていない、
つまり我があるということです。』
所長視点
塩沼師は千日回峰行の九百九十九日目の夜に「人生生涯小僧のこころ」と色紙に書いたそうです
あと一日で千日回峰行を終えようとしている自分と、19歳の頃、雑巾をもち、ほうきを持って駆けまわていた小僧時代の自分は、何も変わっていない。心のうちには同じような熱い気持ちがある、と。
塩沼師ほどの方であっても「我を捨てるのが難しい」とのこと
我があると「これが自分の日常なんだ」と思えない。
極めた方の言葉ですね。すごい!
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