本心を育むNO535 物事のとらえ方

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コップに水が半分残っているのを見ての物事のとらえ方を、3つの帝国の住人になぞらえることができます。

「物事が半分しかないじゃないか」と否定することを、非(あら)ずの心で「悲しい」と書きます。

物事について「そうじゃないじゃないか」と非ずと否定する心が、悲しみ悲劇の元、ということを表しています。

そればかりを言っている国に住んでいる人を、私は「非帝国(否定国)の住人」と名づけました。

そして、「うれしい、楽しい、幸せ」と物事を何でも好ましいほうにとらえる人を「好帝国(肯定国)の住人」と言っています。

そして、「何者かが半分も残してくださってありがたい」というようなとらえ方をする人、物事を何でも感謝の心で「ありがたい」という人。

私は東京の深川の生まれなので、江戸弁でこれを「ありが帝国(ありがてえ国)の住人」と名づけました。

非帝国の住人であってもかまわない。

それが楽しくて心地よければそこにいていいのです。

好帝国の住人でいるのが心地よければ「うれしい楽しい幸せ」と思って生きていけばよい。

それから何でも「ありがたい」と思って生きていくのが心地よいのであれば、その心地よいところで自分が生きていけばよい、ということです。


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所長視点

出来事、物事にはなんにも意味はついていません。諸行無常に流れていくだけです。

そこに自分が意味をつけています。

「楽しい」という意味をつけたら楽しくなるし、「苦しい」という意味をつけたら苦しくなる。

自分の思いが心と一体になってしまっているので、自分が意味をつけているとは気づかず、出来事や物事によって自分が「楽しい」「苦しい」と感じている…と錯覚しているようです。

仏教では2500年もそれがわかっていたというのは驚きです

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