今日は引用は
泥があるから、花は咲く
青山俊董 著になります
今日の本の引用はこちら!
生涯を愛の教育にかけられた先生から、こんなお話を聞きました。
~ 愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董さんより ~
夜遅くに電話が入り、こんな夜中に誰が電話をくれたかと、受話器をとってみると、男の方が切羽詰まった声で、「世の中の人がみんな私を見捨てた。裏切った。生きてゆく勇気がなくなったから、今から首をつって死のうと思う。けれど、一つだけ気になることがある。南無阿弥陀仏と唱えて死んだら救ってもらえるか」というのです。
先生はおっしゃいました。「待ってください。あなたの気まぐれな南無阿弥陀仏ぐらいで救われるもんですか。そんなことより、あなたはまわり中が見捨てた、裏切ったというけれど、あなた自身が自分を裏切り、見捨てて死のうとしているじゃないか。その間も、あなたを見捨てずに、呼びかけ通しに呼びかけ、働き通しに働きかけていてくださる、その方のお声が聞こえないか」と。「そんな声、どこにも聞こえやしない」という電話の主に対して、先生はさらにおっしゃいました。
「眠りこけている間も、あなたの心臓が働いているでしょう。死のうとしているときも、あなたの呼吸が出入りしているでしょう。死なせてなるものか、頑張って生きてくれよとあなたの心臓を働かせ、あなたの呼吸を出入りさせてくれている。その働きを仏さまというのです。そのほかのどこに仏があると思うのですか」
「勘違いしていたようだな」とつぶやくようにいって、電話の主は電話を切りました。眠りこけている間も、自殺しようとしているときも、腹を立てているときも、笑いころげているときも、いついかなるときも私を生かしつづけてくださっている。その働きを仏と呼びます。
本のポイントはここ!
私達は1日のうちで70回もの判断をしている。そのうち60回以上は無意識のうちに判断しているとのこと。心臓の鼓動やまばたきをすることなども、無意識の自分が行っている分野だそうです。無意識と意識の割合は97:3です。まだまだわからないことが多いです。人生を「不幸だ」と決めるにはまだ早い?
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